鄭周河(チョン ジュハ)写真展 「奪われた野にも春はくるか」

鄭周河写真展関連の情報をお知らせしていきます。

2017年2月より高麗博物館で始まります

東京では二度目の開催となります。
今回は新宿区大久保の高麗博物館です。
会場スペースの関係で15点のみの展示となりますが2013年の神楽坂では展示されなかったものも数点展示されます。
開催期間が3ヶ月あります。皆さまどうぞ足をお運びください。



高麗チラシ表



高麗チラシ裏

  1. 2016/11/01(火) 17:36:36|
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『小さな町の古民家で開かれた鄭周河写真展』

(認定NPO法人アウシュヴィッツ平和博物館ニュースレター「imagine」より転載)


 開会二日目の8月21日、韓国から写真家の鄭周河さん、在日の徐京植さんをお招きしてギャラリートークがひらかれました。開会の午後2時前には、暖炉裏にある板の間に敷き詰められた50枚の座布団、土間にしつらえた50脚の椅子は満席。会場に入りきれない人々は庭にあふれました。
 鄭さんの写真展を富士見町でも開いてはと、塚田一敏理事長から話があったのは、1月の半ばのことでした。この呼びかけに画家のSさん夫婦、間伐利用の会のNさん、報道写真家のTさん、9条の会のYさん、精密加工工場社長のSさん夫妻、アウシュヴィッツ平和博物館富士見友の会のCさんなどが参集。会場のこと、開催にかかる費用のこと、宣伝などなど難問が山積。数回の会合で、会場は築170年の古民家に決定、個人の民家で鄭さんの写真展が開かれるのは初めての試みでした。大工でもある塚田さんの指導のもと、急ピッチで会場作りが始まり、チラシもデザイナーのYさんの協力で完成。全員が図書館や美術館、スーパーマーケットなどの東奔西走、チラシを置いてもらいました。また、友人などへの200通以上の手紙は反響を呼ぶ効果が大きかったようです。
 鄭さんは、プロジェクターを使い最近撮影した本邦初公開の写真を投影しながら、日本の原発事故に無関心でおれなかった気持ちを語りました。「美しい風景の中に人のおろかさと哀しみが訴えてきます」と感想を綴った女子高生。「時の流れとともに忘れてしまいそうなことを思い出させてくれました」と記した婦人の言葉は、参加者の多くが共感を呼びました。
 原発がメルトダウンして5年半が経過した今も、放出され続ける放射能汚染の事態は変わりません。国民を巻き込みながら、ファシズムの道をつき進む安倍政権。今やれることはなんでもやり抜き、決して後悔しない道を進む、という思いで今回の写真展も計画されました。津々浦々で小さな催しをとりくむことの大切さを思い知らされたこの2週間でした。
(長野県諏訪郡「古民家 和の家」写真展実行委員 藤井宏志)

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アウ会報







  1. 2016/10/20(木) 15:08:04|
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写真展のお問い合わせについて

鄭周河写真展「奪われた野にも春は来るか」の開催をお考えの皆さま

鄭周河さんは、2003年から2007年にかけて韓国の原発周辺に暮らす人々の「隠蔽された不安」を撮り続け、2008年に発表し(シリーズ「不安、火-中」)、その後、原発事故後のフクシマの情景を撮した作品を、2012年3月にソウルで開かれた第2回世界「核セキュリティー・サミット」に合わせて「奪われた野にも春は来るか」というタイトルで発表しました。
同タイトルの写真集には99点の作品がおさめられています。
日本で2013年から2014年行われた「奪われた野にも春は来るか」巡回展では、そのうち20点が展示され、今年2016年より新たに始まった巡回展では28点の作品が展示されました。そして、2016年8月を以って、28点の作品すべてが福島市白河市のアウシュヴィッツ平和博物館に収蔵されました。この28点についての写真展のお問い合わせは、アウシュヴィッツ平和博物館までお問い合わせください。

福島市白河市 アウシュヴィッツ平和博物館

*収蔵された作品はアウシュヴィッツ平和博物館にて"常設展示"はされていませんのでご注意ください。

  1. 2016/10/04(火) 22:26:59|
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2月より高麗博物館にて

次の開催予定です。
東京都新宿区の高麗博物館にて2017年2月1日〜4月末まで。
東京では2013年のセッションハウス以来、二度目の開催になります。
鄭周河さん、徐京植さんのギャラリートークも企画されるようです。
詳細が決まり次第またお知らせいたします。

高麗博物館
〒169-0072
東京都新宿区大久保 1-12-1 第二韓国広場ビル7階
TEL:03-5272-3510

  1. 2016/09/30(金) 19:12:49|
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富士見にて

遅なりましたが、8月21日に富士見の古民家「和の家」で行われたギャラリートークの様子をお伝えします。

アウシュヴィッツ平和博物館富士見友の会 代表の藤井知恵子さんより開催のご挨拶。
「富士見で鄭さんの写真展をやりませんか?とお声をかけていただいたんですけど、その時に、日本でなく韓国の写真家の写真展ってどういうこと?ってはじめ疑問をもちました。しかし今、日本ではあれだけの大きな事故が、なかったことのようになっていたり、再稼働が始まったり、そんなときに、おとなりの韓国からどういう考えでやってらっしゃるのかと思い、鄭先生のお気持ちをお聞きし、私たち自身で考える大切さがあると思い今日に至りました。鄭先生の他者を思う気持ちを皆さんと共にお聞きしたいと思います。」



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舞台左より、通訳の金利真さん、鄭周河さん、徐京植さん、総合司会の3.11を忘れない有志の会代表 滝沢清次さん
会場には140人もの方々がいらっしゃり熱気に包まれました。

 

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徐京植さん
「この写真展は、ここ富士見で日本では9箇所めとなります。私自身も大変感銘深く思っているのは、はじめこそ敏速な感触はなかったけれども次々と日本の各所でこうして開催が続いていることです。もちろん写真家 鄭周河先生の作品の力もありますが、日本の一般市民の皆さんの関心の高さを示していると思います。」



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鄭周河さんは「奪われた野にも春は来るか」シリーズ以後の作品をスライドで見せてくださいました。

鄭周河さん
「福島第一原発から直線距離で10キロほどのところに小高という町があります。その小高から避難した人たちと事故前に住んでいらした家に行き、その家の前で家族写真を撮るというプロジェクトを現在進行中です」



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休憩を入れ、うたとチェロによる「東北によせる二つの歌」
山本護 牧師(作詞作曲/チェロ)沖田裕美子さん(うた)



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会場の外。会場に入りきれなかったり、会場の熱気から逃れ出て涼む人たち。


座談会では「直接福島の原発事故に関わる問題」「それを写真に撮る、表現するということ。果たして表現できるのか、それを我々が受けとることができるのかという問題」「人類や世界にとって今起きてることはどういうことかという問題」について語られました。
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鄭周河さん
「私が写真をお見せしながらこれは福島で撮ったものだと話をしようとしなかろうと、あるいはこれが富士見で撮ったものだろうと松本で撮ったものだろうとそれは大きな問題ではありません。私がお伝えしたいのは、ここにある自動車や柿や道や雪、それ自体ではなく、そこで起きているその奥にあるものが何か、それが私たちの暮らしにどんな影響を与えるのかということです。これが何月何日にどこで撮ったとかキャプションをつけること自体がむしろ見る人を拘束し矛盾することになると考えています。」

客席より
「鄭周河さんの写真をみて、こういう表現の方法があったのだなと気がつきました。それは正常と異常というか、その領域が表裏一体でそれがこの原発にかかわらず、21世紀のすべての問題みたいに俯瞰していけるようなものだと思います。安心安全という言葉もそうだし、絵や写真もそうなんですけれども、メビウスの輪のようにいつも表裏一体だということを写してくださったと感じています。新鮮な思いをしています」

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徐京植さん
「写真であれ文章であれなんであれ、いろいろ種類があると思いますが大きく分けて二種類があるんですね。情報を正確に伝えるための作業。というのと、今の話のようにそれを芸術というともっと長い尺度でもっと深い深度で、一体こういうことをやってしまう人間というものはなんなんだっていうものを考えさせる作業。この二つはもちろん大きく重なっているわけなんですけれど。一つの作業が両方をする場合もあります。鄭周河さんの作業は後者なのだと思います」


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徐京植さん
「さきほどの異常と正常について一言申し上げますと、とても重要な視点で、私たちが正常としているものの中にむしろ私たち自身を閉じ込めて安心したいわけですよね。おれは正常、あいつは異常。この暮らしは異常で、自分たちは正常な暮らしをしている。そのような壁をつくって排除するということの極致が、ナチスがおこなったユダヤ人差別であったり障害者差別であったりし、それがこのあいだの相模原の事件に現れたわけですね。それはこの国の政府が、『ナチスの手法に学んで、えへへ』というようなことを言っている政府だから起きることです。全く恐ろしいことですね、だから異常と正常という時に、自分は正常だということで線を引いて安心するような視点をどうやって乗り越えるか、ということに非常に大きな役割を果たすものは芸術です。他にもあるでしょうけど私は芸術だと思っています。たとえば芸術家の世界であいつは異常だと言われても、『それで?何がいけないんですか?』っていう人たちがいてその作品が確かに私たちに、おれは正常だって言っている人たちの語りかけるものよりも多くのものを語りかけてくれるわけでしょう。だから私たちは正常という檻に囚われているんだということを気づかせてくれるのも芸術だと思います」


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富士見会場のみなさま、大変おつかれさまでした。

  1. 2016/09/16(金) 10:00:05|
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長野 富士見展、終了しました。

諏訪郡富士見、古民家「和の家」での展示が、9月2日をもって終了いたしました。
短い会期でしたが、ご来場者数は300をゆうに超えたそうです。
ありがとうございました。

近々ギャラリートークの様子をアップいたします。



  1. 2016/09/02(金) 23:09:35|
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福島の事故 記憶し続ける

8月21日 信濃毎日新聞『山ろく清談』より

信濃毎日0821


  1. 2016/08/26(金) 01:23:14|
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被害者に目を向けて

8月20日 長野新報より

長野新報0820


  1. 2016/08/26(金) 00:37:50|
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原発事故後の南相馬写す

8月20日 信濃毎日新聞より

信濃毎日0820

  1. 2016/08/26(金) 00:25:30|
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神宮寺にて2

いのちの伝承2016、8月6日『61回目の「原爆忌」』での対談の様子です。

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神宮寺ご住職 高橋卓志さん
いのちの伝承とは、記憶を伝えることでもあります
記憶すること自体が平和のための闘いでもあります
写真を見て感じられたことを記憶してください

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鄭周河さん
高橋住職のお言葉の中に「美しさ」と「残酷さ」というのがありました。「美しさ」を深く覗き込むとその中にある「残酷さ」というものに気づき、ただ残酷なものを見るよりも強い残酷さを感じます。「美しさ」と「残酷さ」は表裏一体であり、私の作品にも重なり、また私がこれから勉強していく重要なテーマです

いのちの伝承3

高橋卓志さん
「奪われた野にも春は来るか」というタイトルは、苦しみを持った場所や人々すべてに通用する。奪われたということは奪った人もいるわけで、奪った人から強圧的に奪われていくわけだから自分の思い通りに全くならない。そういうところを僕は30年40年歩き続けてきた気がするんですよ。太平洋戦争の南方での戦死者の遺骨収集から始まって、沖縄、チェルノブイリと、私はそういった野原をずっと歩いてきた気がする。フクシマ、そして原爆忌の今日、広島長崎も含めて、改めて「奪われた野」を考えることと、奪ったのは誰かということを考えていかなければならないと思うわけです

鄭周河さん
持続して「記憶」することは、未来を切り開く上で大切なことと考えますが、すでに日本でも韓国でもフクシマの記憶を消してしまっているかのようです。フクシマの出来事は今後人類が少なくとも10万年は闘い続けなければなりません。一人の人間が10万年間記憶することはできませんが、10万人が1年ずつ記憶することで10万年という大きな記憶が可能になると考えます。大きな記憶は未来を動かす力になります。その動力に私の「記録」を活用していただければ幸いです

いのちの伝承4

徐京植さん
世界各地の美術館を見ると気づくことだが、日本という国は、歴史の記憶を守り伝えようとするような作品への公的助成がほとんどない。それは芸術的表象の世界が国家権力、政治権力にどれほど左右されているかの逆の証明とも言える。最近も都立現代美術館等々で展示内容に対する圧力があり、展示の自粛や変更が相次いだ。たとえばアメリカではトランプ旋風が吹き荒れる中にあっても、政府批判的な優れた作品を作る人がいて、それを公開する大きな美術館があり、それを観覧する多くの人たちがいる

いのちの伝承4−1

徐京植さん
「アンダーコントロール」の時代という皮肉。多くの人が嘘と知っていても嘘を支持し、その嘘が成り立つ。権力者が嘘をつくだけではなく、自らコントロールされることを望む人たちがいる。自発的隷属ともいえる。自発的隷属による有形無形の暴力が現代社会を覆っていることに対して、きちんと課題を設定して抵抗していかなければ、これまでの多大な犠牲(広島長崎、朝鮮戦争、フクシマ…)が無駄にされる、そう思っているところです

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高橋哲哉さん
歴史の記憶をどう伝えるか、これからますますむづかしくなってくるだろうとおもいます。もちろんこれが簡単であったことは一度もないのですが、少なくとも1945年までの歴史を体験した人が、圧倒的に少なくなってしまっています

徐京植さん
目の前に当事者がいなくなれば問題はなくなったと言えるのか。そこには自律的な倫理観が必要になってきます。
戦争の証人がほとんどいなくなった今、いのちの伝承、記憶の伝承をどうしていくか。
強い心を持たなければそれは成功しません。時の流れは常に権力者の側にあります

高橋哲哉
「ポストメモリー」の時代。つまり、記憶というのは基本的には実際に体験した人が身体的な記憶を含めて体験者として記憶をする。そして実際にそれを体験していない人は、伝え聞いてそれを知るわけです。今まさに直接の体験をした人が消えていく時代になった。そういう時代に、戦争や虐殺や原発事故や歴史の記憶について二度と同じことを繰り返さないために、自分が伝え、また伝えられてそれを受け取っていくという大きな問題について、今日がそれを考えるきっかけとなればうれしいです
  1. 2016/08/16(火) 01:31:08|
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