鄭周河(チョン ジュハ)写真展 「奪われた野にも春はくるか」

鄭周河写真展関連の情報をお知らせしていきます。

富士見にて

遅なりましたが、8月21日に富士見の古民家「和の家」で行われたギャラリートークの様子をお伝えします。

アウシュヴィッツ平和博物館富士見友の会 代表の藤井知恵子さんより開催のご挨拶。
「富士見で鄭さんの写真展をやりませんか?とお声をかけていただいたんですけど、その時に、日本でなく韓国の写真家の写真展ってどういうこと?ってはじめ疑問をもちました。しかし今、日本ではあれだけの大きな事故が、なかったことのようになっていたり、再稼働が始まったり、そんなときに、おとなりの韓国からどういう考えでやってらっしゃるのかと思い、鄭先生のお気持ちをお聞きし、私たち自身で考える大切さがあると思い今日に至りました。鄭先生の他者を思う気持ちを皆さんと共にお聞きしたいと思います。」



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舞台左より、通訳の金利真さん、鄭周河さん、徐京植さん、総合司会の3.11を忘れない有志の会代表 滝沢清次さん
会場には140人もの方々がいらっしゃり熱気に包まれました。

 

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徐京植さん
「この写真展は、ここ富士見で日本では9箇所めとなります。私自身も大変感銘深く思っているのは、はじめこそ敏速な感触はなかったけれども次々と日本の各所でこうして開催が続いていることです。もちろん写真家 鄭周河先生の作品の力もありますが、日本の一般市民の皆さんの関心の高さを示していると思います。」



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鄭周河さんは「奪われた野にも春は来るか」シリーズ以後の作品をスライドで見せてくださいました。

鄭周河さん
「福島第一原発から直線距離で10キロほどのところに小高という町があります。その小高から避難した人たちと事故前に住んでいらした家に行き、その家の前で家族写真を撮るというプロジェクトを現在進行中です」



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休憩を入れ、うたとチェロによる「東北によせる二つの歌」
山本護 牧師(作詞作曲/チェロ)沖田裕美子さん(うた)



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会場の外。会場に入りきれなかったり、会場の熱気から逃れ出て涼む人たち。


座談会では「直接福島の原発事故に関わる問題」「それを写真に撮る、表現するということ。果たして表現できるのか、それを我々が受けとることができるのかという問題」「人類や世界にとって今起きてることはどういうことかという問題」について語られました。
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鄭周河さん
「私が写真をお見せしながらこれは福島で撮ったものだと話をしようとしなかろうと、あるいはこれが富士見で撮ったものだろうと松本で撮ったものだろうとそれは大きな問題ではありません。私がお伝えしたいのは、ここにある自動車や柿や道や雪、それ自体ではなく、そこで起きているその奥にあるものが何か、それが私たちの暮らしにどんな影響を与えるのかということです。これが何月何日にどこで撮ったとかキャプションをつけること自体がむしろ見る人を拘束し矛盾することになると考えています。」

客席より
「鄭周河さんの写真をみて、こういう表現の方法があったのだなと気がつきました。それは正常と異常というか、その領域が表裏一体でそれがこの原発にかかわらず、21世紀のすべての問題みたいに俯瞰していけるようなものだと思います。安心安全という言葉もそうだし、絵や写真もそうなんですけれども、メビウスの輪のようにいつも表裏一体だということを写してくださったと感じています。新鮮な思いをしています」

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徐京植さん
「写真であれ文章であれなんであれ、いろいろ種類があると思いますが大きく分けて二種類があるんですね。情報を正確に伝えるための作業。というのと、今の話のようにそれを芸術というともっと長い尺度でもっと深い深度で、一体こういうことをやってしまう人間というものはなんなんだっていうものを考えさせる作業。この二つはもちろん大きく重なっているわけなんですけれど。一つの作業が両方をする場合もあります。鄭周河さんの作業は後者なのだと思います」


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徐京植さん
「さきほどの異常と正常について一言申し上げますと、とても重要な視点で、私たちが正常としているものの中にむしろ私たち自身を閉じ込めて安心したいわけですよね。おれは正常、あいつは異常。この暮らしは異常で、自分たちは正常な暮らしをしている。そのような壁をつくって排除するということの極致が、ナチスがおこなったユダヤ人差別であったり障害者差別であったりし、それがこのあいだの相模原の事件に現れたわけですね。それはこの国の政府が、『ナチスの手法に学んで、えへへ』というようなことを言っている政府だから起きることです。全く恐ろしいことですね、だから異常と正常という時に、自分は正常だということで線を引いて安心するような視点をどうやって乗り越えるか、ということに非常に大きな役割を果たすものは芸術です。他にもあるでしょうけど私は芸術だと思っています。たとえば芸術家の世界であいつは異常だと言われても、『それで?何がいけないんですか?』っていう人たちがいてその作品が確かに私たちに、おれは正常だって言っている人たちの語りかけるものよりも多くのものを語りかけてくれるわけでしょう。だから私たちは正常という檻に囚われているんだということを気づかせてくれるのも芸術だと思います」


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富士見会場のみなさま、大変おつかれさまでした。

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  1. 2016/09/16(金) 10:00:05|
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