鄭周河(チョン ジュハ)写真展 blog「奪われた野にも春はくるか」

鄭周河写真展関連の情報をお知らせしていきます。

神宮寺にて2

いのちの伝承2016、8月6日『61回目の「原爆忌」』での対談の様子です。

いのちの伝承1
神宮寺ご住職 高橋卓志さん
いのちの伝承とは、記憶を伝えることでもあります
記憶すること自体が平和のための闘いでもあります
写真を見て感じられたことを記憶してください

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鄭周河さん
高橋住職のお言葉の中に「美しさ」と「残酷さ」というのがありました。「美しさ」を深く覗き込むとその中にある「残酷さ」というものに気づき、ただ残酷なものを見るよりも強い残酷さを感じます。「美しさ」と「残酷さ」は表裏一体であり、私の作品にも重なり、また私がこれから勉強していく重要なテーマです

いのちの伝承3

高橋卓志さん
「奪われた野にも春は来るか」というタイトルは、苦しみを持った場所や人々すべてに通用する。奪われたということは奪った人もいるわけで、奪った人から強圧的に奪われていくわけだから自分の思い通りに全くならない。そういうところを僕は30年40年歩き続けてきた気がするんですよ。太平洋戦争の南方での戦死者の遺骨収集から始まって、沖縄、チェルノブイリと、私はそういった野原をずっと歩いてきた気がする。フクシマ、そして原爆忌の今日、広島長崎も含めて、改めて「奪われた野」を考えることと、奪ったのは誰かということを考えていかなければならないと思うわけです

鄭周河さん
持続して「記憶」することは、未来を切り開く上で大切なことと考えますが、すでに日本でも韓国でもフクシマの記憶を消してしまっているかのようです。フクシマの出来事は今後人類が少なくとも10万年は闘い続けなければなりません。一人の人間が10万年間記憶することはできませんが、10万人が1年ずつ記憶することで10万年という大きな記憶が可能になると考えます。大きな記憶は未来を動かす力になります。その動力に私の「記録」を活用していただければ幸いです

いのちの伝承4

徐京植さん
世界各地の美術館を見ると気づくことだが、日本という国は、歴史の記憶を守り伝えようとするような作品への公的助成がほとんどない。それは芸術的表象の世界が国家権力、政治権力にどれほど左右されているかの逆の証明とも言える。最近も都立現代美術館等々で展示内容に対する圧力があり、展示の自粛や変更が相次いだ。たとえばアメリカではトランプ旋風が吹き荒れる中にあっても、政府批判的な優れた作品を作る人がいて、それを公開する大きな美術館があり、それを観覧する多くの人たちがいる

いのちの伝承4−1

徐京植さん
「アンダーコントロール」の時代という皮肉。多くの人が嘘と知っていても嘘を支持し、その嘘が成り立つ。権力者が嘘をつくだけではなく、自らコントロールされることを望む人たちがいる。自発的隷属ともいえる。自発的隷属による有形無形の暴力が現代社会を覆っていることに対して、きちんと課題を設定して抵抗していかなければ、これまでの多大な犠牲(広島長崎、朝鮮戦争、フクシマ…)が無駄にされる、そう思っているところです

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高橋哲哉さん
歴史の記憶をどう伝えるか、これからますますむづかしくなってくるだろうとおもいます。もちろんこれが簡単であったことは一度もないのですが、少なくとも1945年までの歴史を体験した人が、圧倒的に少なくなってしまっています

徐京植さん
目の前に当事者がいなくなれば問題はなくなったと言えるのか。そこには自律的な倫理観が必要になってきます。
戦争の証人がほとんどいなくなった今、いのちの伝承、記憶の伝承をどうしていくか。
強い心を持たなければそれは成功しません。時の流れは常に権力者の側にあります

高橋哲哉
「ポストメモリー」の時代。つまり、記憶というのは基本的には実際に体験した人が身体的な記憶を含めて体験者として記憶をする。そして実際にそれを体験していない人は、伝え聞いてそれを知るわけです。今まさに直接の体験をした人が消えていく時代になった。そういう時代に、戦争や虐殺や原発事故や歴史の記憶について二度と同じことを繰り返さないために、自分が伝え、また伝えられてそれを受け取っていくという大きな問題について、今日がそれを考えるきっかけとなればうれしいです
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  1. 2016/08/16(火) 01:31:08|
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